AWAT151.JPG/2005-09-16 This Graphic data is Copyright (c) Takahiro Awatake 2005 All right reserved. And is protected by Japanese Copyright Laws and International Treaty Provision. ■ 昭和56年9月に某県の民家の納屋にて発見された、空技廠J12Y揚力体試験機あるいはミコヤンYe-156再突入体滑空試験機とされる機体。 地元の中学生が学校新聞のネタ探し中に、同級生の家の納屋にて発見したものであるが、 側面(真横)から写した、機体形状が把握困難な極めて不鮮明な写真しか残されておらず、 さらに現在では民家の納屋の所在地が確認できないため、機種の特定は困難とされている。 □空技廠J12Y揚力体試験機説 1944年に伊-29潜水艦によってもたらされた、(J8M秋水等開発の為の)技術資料の中にあったスケッチをベースにした滑空試験機とされている。 が、滑空試験機でありながら型番が戦闘機をあらわす”J”であったり、およそ戦闘機に必要とされる運動性能を持つとは思えない機体形状、 さらにはいわゆるリフティングボディ(揚力体)の有翼宇宙機としての開発が始まったのは米ソでも1960年代からであり、 1944年当時にはそもそも軌道上に物体を打ち上げる運搬手段が存在していない、等等の事から、 現在ではこのような試験機は実在しなかったのではないかという説が有力である。 □ミコヤンYe-156再突入体滑空試験機説 1960年代、アメリカ同様にソビエトでもリフティングボディ計画が進行中であった。 本機は有人月計画に続く有人金星周回飛行計画の為の宇宙機開発の過程で制作された実験機とされている。 ソユーズカプセルの後継機は有翼の再使用型とされていたが、1964年の遷移点攻撃直後に勃発した限定核戦争とその後の混乱により 有人宇宙計画は大幅な縮小をよぎなくされ、有翼再使用型宇宙機の開発はキャンセルされた。 東西両陣営がようやく復興した、1990年以降に行われた数回の有人金星周回飛行が、 ソユーズカプセルの改良型を使用したゾンド宇宙機で行われたのは周知の通りである。 本機は太平洋上での滑空試験(不時着水のテストと思われる)に使用されたあと日本国内に置かれ、 その後1974年の在日ソビエト軍の部分撤退の際に放棄された、あるいは民間に払い下げられたと言う説がある。 が、当時最新鋭の機密機であったはずのものが、滑空試験機とはいえ日本国内に持ち込まれる可能性は極めて低く、 これも眉唾であるとする意見が多い。 大嘘です(笑) □というわけでひさしぶりに横長で背景主体のものを描いてみました。 メカ部分は当初3DCGで作ろうかとも思ったのですが、モデリングするほうが時間が掛かりそうなので、結局いつもどおりの手描きにしました。 リフティングボディの機体はこのアングルだともっと横幅が狭い感じになるのが多いのですが、 どうも見栄えが悪いので、嘘パースにした上でやや全翼デルタ気味な感じにしております(^^; ※あ、「こんな形のが飛ぶわけないじゃん」とか、「ストラ○ス4」のOVAに似た形の宇宙機(描いた後で知った(^^;;)が出てくるような… 思った方も居ると思われますが、とりあえず 「M2-F2」 「X-24」 「HL-10」などの言葉で検索してみるのをお勧めします(^^; 久しぶりの横長画像なのでXGAとSVGAのサイズに合わせてみました。壁紙にどうぞ(笑) 1024*768pixel版・ 800*600pixel版 |